Feb 20 2010
∞
“ もちろん「知らないふり」ができるのは、そのことを「知っている」からである。
それを意識に前景化させまいと、つねに抑圧が機能しているから「知らないふり」ができるのである。
その抑圧の機制については、これまでも何度も書いてきた。
それは敗戦後の日本人は「自分が『弱い』ということを認めることさえできないほどに弱っていた」からである。
自分の弱さを認めることができるためには、ある程度の強さが必要である。
その「強さ」が1960年の日本人にはまだ足りなかった。1970年の日本人にも足りなかった。
それはたぶん「アメリカが強すぎた」からである。
2010年の日本人は「私たちは弱い」ということを冷静な言葉で語れるほどには、それにうなずけるほどには「強く」なったであろうか。
少しはなれたのではないかと思う。
ただそれが「日本が強くなった」ことによってではなく、「アメリカが弱くなった」ことによってもたらされた望外の帰結ではなかったのかという一抹の不安がぬぐえない。
それを意識に前景化させまいと、つねに抑圧が機能しているから「知らないふり」ができるのである。
その抑圧の機制については、これまでも何度も書いてきた。
それは敗戦後の日本人は「自分が『弱い』ということを認めることさえできないほどに弱っていた」からである。
自分の弱さを認めることができるためには、ある程度の強さが必要である。
その「強さ」が1960年の日本人にはまだ足りなかった。1970年の日本人にも足りなかった。
それはたぶん「アメリカが強すぎた」からである。
2010年の日本人は「私たちは弱い」ということを冷静な言葉で語れるほどには、それにうなずけるほどには「強く」なったであろうか。
少しはなれたのではないかと思う。
ただそれが「日本が強くなった」ことによってではなく、「アメリカが弱くなった」ことによってもたらされた望外の帰結ではなかったのかという一抹の不安がぬぐえない。